西から昇る太陽2

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 ただ、寂しかった。彼はいつもとても優しかったし、二人は確実に愛し合えていた。でも彼は、私を幸せにするには、あまりにも忙しすぎた。
 先週いっぱいで、私は仕事をやめた。帰国子女として日本の大学に入学し、卒業後にそのまま入社した商社だ。3年と8ヶ月の勤務だった。
 彼とのお付き合いは3年と10ヶ月だ。卒業直前のタイミングで内定が取れた私は、その報告もかねて両親の住むホノルルに戻った。彼とはその時、海沿いの公園で出会った。
 つれていた愛犬のトミーが、公園の木陰で本を読んでいた彼のそばを離れなかった。そんな、些細な切っ掛けだった。
 とても愛していた。愛しすぎていた。私はいつも彼のことを考え、そしていつも、仕事に忙しい彼を待った。でももう限界だった。
 荷物はさほどなかった。いつも私は、荷物を増やさないことを心がけた。それは、彼のもとに飛び込みたかったためだろうか。それとも、ホノルルに帰るためだろうか。荷物のまとめも、既に終えていた。
 私は彼に電話をした。
「明日の便でホノルルに帰ることにした」
 ラインがつながると、私はそう彼に告げた。
「どういうこと?」
 彼は静かにきいた。
「何時の便?」
 私が黙っていると、彼はそう続ける。彼はとても頭がいい。仕事もできる。「あいつの能力は並じゃない」と、彼の友人は皆口をそろえる。でも、私の想いだけには、とても鈍感だった。
「十六時四十五分発の便。でも、見送りになんて来ないで」
「なぜ?」
 なぜ?あなたの顔を見たら、これからずっと、寂しい時が続いてしまう。
「君と結婚したいんだ」
 驚いた。こんな時にプロポーズだなんて。
「今さら無理だよ」
 私はそう答えた。孤独な一生なんて耐えられない。気付いてほしかった。これまでの四年間近く、ずっとずっとそう思っていた。
「時間を戻すことは、あなたにだってできないもの」
私はそう続けた。


 一瞬の沈黙があった。彼はいった。
「できるさ。たとえば明日、太陽を西から昇らせて見せる」
 彼はいつも、とんでもない言葉で私を驚かせる。これでは昔のテレビアニメだ。
「できるはずない」
 でも、彼は引かなかった。
「もしできたら、ボクは君を迎えに行く。結婚しよう。いいね?」
 私ははそれには答えないまま、電話を切った。


 翌日の午後、すべての手続きを終えた私は、空港へと向かった。今一度、彼と会いたかった。でも、ここで会ったら、私はホノルルに帰れない。
 出国手続きを終え、搭乗ゲートをくぐる。一面のガラスに、静かな海と赤く染まった空が見えた。赤くて巨大なつぶれた太陽が、地平線近くに浮かんでいた。搭乗開始のアナウンスが流れていた。英語に若干のアジア訛りがあった。


<これから搭乗します。もう夕暮れ。太陽は西の空に沈むものだよ。とっても愛してた>
 私はスマホで彼に最後のメッセージを送り、そして、瞳の涙を左の人差し指でぬぐった。


 機内は意外なほど空いていた。まだ、年末の休みには早いのだろうか。私は窓際の席に座り、シートベルトをしめて小さな窓に目をやった。西の空。ちょうど大きな太陽が、水平線に沈むところだった。そう。太陽は西の空に沈む。西から昇る太陽なんて、あるはずがない。彼は、別れる意思を、逆説的に伝えていたのだろうか。


 CAが簡単な機内安全設備の説明を済ませた後、機は滑走路へと移動した。フラップのテストだろうか、ノコギリのような機械音が機内に響く。彼との思い出は大事にしていこう。そう思った。
 CAのアナウンスと離陸サインの後、機が急加速をはじめた。身体がシートに押し付けられていく。太陽が沈んだ後の水平線には、雲ひとつなかった。夕闇が迫りつつある。
 ふわっとした感覚をおぼえたと同時に、路面走行ノイズが消えた。機が離陸したのだ。長かった日本の生活も、そして彼との愛も、今終わる。水平線が涙でにじんだ。
 機はその後、急速な上昇を始めた。すると、直後に驚くべきことが起きた。
 西の空と海の境界線、水平線の一部分が、オレンジ色に輝きだしていた。その輝きは、水平線に沿って横に広がり、そして、先ほど沈んだばかりの太陽がゆっくりと顔を出し始めたのだ。


 西から昇る太陽だった。


 ありえないことだった。心が高鳴った。奇跡が起きた瞬間だった。美しすぎる光景だった。そしてそれは、彼が私の寂しさに気付いてくれる確信を私に与えた。彼は、私に伝えたかったのかもしれない。 ホノルルに到着するとすぐに、私は彼にメッセージを送った。


<西から昇る太陽を初めて見た。素敵だった。なんでもできるあなた。その力で、私も幸せにしてくれますか?>


 返事はなかった。でもわかっていた。私がテラスでサンセットを楽しむ頃、きっと彼は、私の家をノックすることだろう。寂しくはない二人の時間が、きっと始まるに違いなかった。



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