西から昇る太陽

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 夕暮れが迫っていた。ボクは空港の駐車場に車をすべりこませた。年の瀬で混雑が予想された駐車場は、意外なほど空いていた。ボクは、ループ状のレーンに入り、そのまま屋上まで車を走らせた。
 屋上には、数台の車が停まっているだけだ。ボクは、滑走路を見下ろせる位置に車を停車させた。滑走路と、その向こうに静かな海、そして赤く染まった西の空。熟れすぎた柿のような、つぶれた太陽が浮かんでいる。
「明日の便でホノルルに帰ることにした」
 突然の電話で、彼女はそういった。予想もしない展開は、ボクを狼狽させた。
「どういうこと?」
 ボクの問いに、彼女はただ黙っていた。
「何時の便?」
「16時45分発の便。でも、見送りになんて来ないで」
「なぜ?」
 彼女は再び電話の向こう側で黙った。
「君と結婚したいんだ」
ボクは静かにそういった。ずっと前に、告げておくべき言葉だった。
「今さら、無理だよ」
 彼女はそう答えた。
「時間を戻すことは、あなたにだってできないよ」
 それはつまり、可能性が限りなくゼロに近いということだろうか。意味がわからなかった。二人はとてもうまくいっていたはずだった。
 ボクは頭をフルに回転させ、対応策を考えた。そして、ひとつの策にたどり着いた。
「できるさ。たとえば明日、太陽を西から昇らせて見せる」
「できるはずない」
「もしできたら、ボクは君を迎えに行く。結婚しよう。いいね?」
 彼女はそれには答えないまま、電話を切った。


 ジェットエンジンが回転を上げる音がした。それは、猛獣がうなるようでもあったし、どことなく悲痛な叫びのようでもあった。助手席に放り出していたスマホが、二度だけ小刻みに震えた。彼女からのメッセージだった。


<これから搭乗します。もう夕暮れ。太陽は西の空に沈むものだよ。とっても愛してた>


 彼女は搭乗フロアで、きっとこの夕日を見ていたのだろう。彼女は何を考えていたのだろう。思えばボクは、彼女の心の動きを見てあげていなかった。長い付き合いなのに、彼女が何を考えているのかを理解してあげることができなかった。
 程なくして、大きな太陽が地平線の彼方へと吸い込まれ、そして消えた。とてもはかなく、そして小さな時の終わりに思える。
 ジェットエンジンが、フルパワーを搾り出していた。一機が滑走路をすべりだし、そして離陸した。湖面を羽ばたき、飛び立つ白鳥のようだ。とどろく爆音が、空間のすべてを振動させた。16時45分。定刻通りだった。


「西の空を、見ていてくれ」


 ボクは機内にいるであろう彼女にそういった。大きく翼を広げ、黄昏の空に向けて飛び立った白鳥は、急速に高度を上げていく。そして、徐々に小さくなり、夕闇に吸い込まれた。
 しかし、次の瞬間それは起きた。機全体が、オレンジ色に輝きだしたのだ。去ってしまったはずの太陽光を、機は今一度、つかまえることに成功していた。
 彼女からのメッセージが届いたのは、その日の深夜だった。締め切りに追われ、ボクは、自室兼オフィスで仕事をしていた。


<西から昇る太陽を初めて見た。素敵だった。なんでもできるあなた。その力で、私も幸せにしてくれますか?>


 まだ、完全に事態を把握したわけではなかったが、一筋の光は、とらえることができたように思えた。仕事が山積みだった。しかし、数日の休暇を取る必要がありそうだ。簡単なことではなさそうだった。ただ、それまでのボクは、この努力を怠っていた。
 彼女はずっと、ひとりだったのだ。
 ボクはスーツケースに衣類を放り込み、空港に向かって飛び出した。深夜発の便に、まだ間に合うはずだった。



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