軌道修正の自由

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 やってきたバスに飛び乗ったオレは、バスの最後部座席に珍しい顔を発見した。
「あれ?」
 進学校の制服を着たそいつは、分厚い本に目を落としていた。だらけたシャツにズボンのオレとは大違いだ。
「やっぱりそうだ。ヨウスケじゃん」
 オレはそういって彼の隣にドスンと腰をおろした。
「ヒロちゃん」


 ヨウスケとは十年以上の付き合いになる。同じ中学を卒業するまでは、よく遊んだ仲だ。しかしそれぞれの高校に進学してからは、滅多に会うことが少なくなっていた。


「久しぶりだな。元気してる?」
 汗でぬれた長めの髪を手串で整えながら、オレはいった。
 ヨウスケは昔ながらのシチサン頭。相変わらずダサい。
「うん、でも高校に入ってからは、結構毎日忙しいけどね」
 とヨウスケは笑顔で答えた。


 ヨウスケは昔から真面目な努力家タイプだった。落ちこぼれのオレとは正反対だが、不思議と相性があった。ヨウスケをいじめる奴は、オレがゆるさかなった。その礼としてか、ヨウスケはいろいろなことをオレに教えてくれた。


「なんだよヨウスケ。大変そうじゃん」
「まあ、大変は大変だね」
「オレなんか生きたいように生きてるぜ。今が良きゃそれでいいのさ」
「ヒロちゃんらしいね。でも将来はどうするの?」


 不意のヨウスケの質問に、一瞬、ない頭がフル稼働した気がした。しかしない頭であれこれ考えてみても、答は出なかった。もともと進学など考えてなかった。今が楽しきゃそれでいい。


「だから今を楽しんでるだけさ。将来は知らねえ」
「そうなんだ」
 ヨウスケの顔が少しくもったように見えた。
「なんだよ。なんか問題あっかよ?」
 オレはそういって、ヨウスケの目を見た。ヨウスケの瞳は、とても澄んで見えた。


「ボクも今を楽しんでるよ。でも将来も大事だと思ってる」
 ヨウスケがいった。
「でもお前の今は、勉強の毎日だろ?楽しくねえじゃん」
 ヨウスケの考えを、うまく消化できない。
「確かに大変だけど、充実はしてるんだよ。学ぶって意外に楽しいんだよ」
「勉強が楽しい?マジでいってんのか?」
「うん、ヒロちゃんも一緒に勉強しない?」
 ヨウスケの意外な言動に、オレは腹をかかえて笑った。しかしヨウスケは、笑わなかった。


 人は人の影響を受けることが多々ある。人からのさまざまな助言によって、夢に向けて軌道を修正することも少なくはないだろう。


 その先にどのような現実があるかはわからない。それでも、まったく問題はない。思い立ったそのとき、いつでも何度でも、軌道修正はできるからだ。そしてその歩みの継続は、夢の実現に人をいざなう。


 ちなみに、ヨウスケの言葉は、その後の私のライフスタイルを、徐々にだが変えていくことになった。未来に向けて歩む充実感を知ることになったのだ。


 電話が鳴っていた。研究生がその電話を取った。
「教授、一番にお電話です」
 電子位相顕微鏡の解析画像から目を離した私は、受話器をとって、外線ボタンをプッシュした。


 電話の主は、ヨウスケだった。


 ヨウスケは、某省官僚のトップにまで上り詰めていた。それでいながら、純粋さはあの頃とまったく変わらない。
「ヨウスケ、久々だな。元気だったか?」と私はきいた。
「ヒロちゃん。ネイチャー誌掲載の論文読んだよ。おめでとう」
 ヨウスケは自分の近況を語る代わりに、興奮した声でそういった。
「ありがとう」
 私は薄くなった髪を手串で整えながら答えた。ヨウスケの言葉が、何にもまして嬉しかった。



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