ライダーが愛したもの
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そのバイクショップは、偶然か戦略か、峠に続く県道沿いにあった。そしてそれは、必然的な結果として、多くのライダーが集う場所として繁盛していた。
ボクは、ショップの前にXJR400Rを滑り込ませた。サイドスタンドを出してエンジンを切る。フルフェイスのヘルメットを取った。
「良平!そのゴロワーズカラーって、もしかして」
油で汚れた青いツナギ姿の玄さんがボクを見ていった。玄さんは、このショップのオーナーだ。
「父のツナギとメットです」
玄さんは、その言葉に少し表情を硬くした。
「やっぱりな・・・・・・」
ボクはバイクを降りた。
「できてます?」とボクはきいた。
「もちろん、完璧だよ」と玄さんは胸をはった。
ガレージに残されていた父のバイクに、ある日、ボクは乗りたいと思った。父の愛したバイクに乗ることで、少しは父を理解できるのではと考えたからだ。そこでボクは、玄さんに無理をいい、リストアをお願いしたのだった。
「ほらあそこ。売ってくれって客にせがまれたよ」
玄さんが、店の中を指差していった。新型バイクが並ぶその端に、それはあった。白いタンクに、青と水色のストライプ、ボクよりも年上のRZ350だ。
「さっそく乗りたいんだけど、いいですか?」
「かまわないが、気をつけろよ」
「何か問題でも?」
「かなりピーキーな奴だから」
ボクはRZ350をショップの外に出し、キックでエンジンをかけた。エンジンは一発でかかった。しかし、吹き上がりがわるく振動も大きい。マフラーが白煙を吐いた。
「玄さん、これ大丈夫?」ボクは少し不安になった。
「2ストなんだぜ良平、それでいいのさ」と玄さんは笑った。
ボクはヘルメットをかぶった。
「くれぐれも気をつけろ」と玄さんに念を押された。
スロットルを少し開きぎみにしたまま、ゆっくりとクラッチをつないだ。エンジンは、たよりなくバイクを前進させた。ボクは峠へと方向転換し、ぎこちないシフトアップで速度を上げた。
「なんて非力なバイクなんだろう」
その時、ボクはそう思った。父はこのバイクを愛していたはずだった。たぶんは、母やボク以上に。 しかしそれがなぜなのか、ボクはまったく理解できないでいた。
街を抜けるまでの間に、ボクはRZ350の特性を、二つだけ理解した。低回転域では、まったくトルクが出ないこと、そして、エンジンブレーキがほとんど機能しないことだ。
街を抜けると、峠に差し掛かるまで、ちょっとした直線道路となる。ボクはギアを一速だけ落とし、スロットルを開いた。頼りないトルクと、まったりとした加速。呆れはてたその瞬間に、異変が起きた。
タコメーターが中回転域を超え出した頃から、今までにない爆発的なトルクの増大を感じた。前方の視界が、一気に狭くなっていく。高めのエンジン音に、それまでにない安定感を感じた。
「すごい」
ボクは前傾姿勢をとり、さらにスロットルを開いた。しかしそれは、致命的なミスだった。
突然、フロントが浮き始めるのを感じた。あわててスロットルを戻し、リアブレーキをかけた。トルクの増大に相殺され、浮き上がった前輪は、なかなか路面に接地してくれない。まだ先にあるはずの、きつい右コーナーが迫っていた。
ボクはパニックに陥った。意識が身体と分離していく。指示系統が混乱を起こしていた。恐怖の中で転倒を覚悟した。忍び寄る死の闇を感じ取ったその時だった。別の意識に、身体全体が支配された気がした。
微妙なアクセルとクラッチ操作、ブレ―キング、シフトダウン、左縁石から右サイドへの派手なハングオン。複数の複雑なオペレーションが、ほぼ同時に実行された。バイクが大きく傾斜し、コーナーへと突っ込んでいく。タコメーターは、高回転域をキープしたままだ。極限状態の微妙なアクセルワークを、ボクは経験したことがない。
オーバースピードから発生する外側への力を、身体全体で力強く、しかし繊細に処理していた。後輪がドリフトをはじめていた。タイヤが悲鳴をあげ、パイプフレームがよじれるのがわかる。別の意識は、それをも想定内として冷静に対応していた。
「何なんだ」
ヘルメットの中でボクは叫んだ。別の意識が、それに応えるようにボクの意識と接した。意識が膨大な情報の大河となり、一気にボク側へと流れ込んだ。
幼いボクの泣き顔、若く美しい母の笑顔。生涯をかけたビジネス、挫折と成功。玄さんとの友情、週末の早朝、RZ350。母とボクに対しての、熱くて深い愛情。
「父さん」
知らなかった。そんなにも深く母を愛していたことを。知らなかった。そんなにもボクが愛されていたことを。父の想いを、一生を、瞬時に理解した。父への憎しみと反発が、大きな後悔へと変わった。
RZ350は、完璧なライン取りをトレースした。コーナーの出口を確認した父の意識は、スロットルを開けながらも、次の左コーナーへの進入態勢を整えていた。ファーストインファーストアウトの手本が、そこにあった。
10分後、ボクは峠途中の小さな駐車場にいた。他に車はない。
サイドスタンドを出したRZ350にまたがったまま、ヘルメットもとらずにそこにいた。シールドが曇り、視界を遮断していた。タンクに両手をつくことで、ボクは上半身を支えていた。できることならもう一度、父と話がしたかった。肩が小刻みに震えた。フルフェイスのヘルメットは、溢れ出る涙を隠すのに好都合だった。
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