激しい雨の憂鬱
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スコールのような雨だった。夏の終わりの昼下がり、厚く黒い雨雲が空を覆っていた。ワイパーが扇状にフロントガラスを行き来する。洗車機の中にでもいるかのように、前方の視界が歪んだ。それでも俺は、歩道の人の動きに注意をはらっていた。
30メートルほど前方に、一人の女性が車道を向いて立っていた。白いトレンチコートに赤い傘。
――― ハードボイルドでもあるまいし。
俺はハザードランプをつけ、女性の立つ位置に車を停車させた。その段階で、女性は初めてこちらの存在に気づいたようだ。
後部ドアを開けた。
女性は傘をたたみ、後部座席に身体を滑り込ませた。
「助かったわ」と彼女がいった。
俺はバックミラー越しに彼女を見た。彼女は色の濃いサングラスをかけていた。表情は把握しにくい。年齢は25歳前後だろうか、厚いファンデーションに違和感がある。きつめのシャネルも勘弁してほしかった。
「どちらまで」と俺はきいた。緊張の一瞬でもある。
「東京駅」と彼女は答えた。
東京駅までは1500円がいいところだ。今回もはずれだった。
「八重洲口?それとも丸の内側?」料金に大した差は出ない。
「どっちでもいいわ」と彼女は答えた。
俺はメーターのスイッチを入れ、車を発進させた。
2ブロック走った先の交差点で信号が赤になった。フロントガラスに、前の車のブレーキランプが赤くにじむ。俺は仕方なくブレーキを踏んで停車した。ワイパーの規則的な稼動音に、車に打ちつける雨音が絡んだ。
俺は再びバックミラー越しに彼女を見た。彼女は、ウインドウに頭をもたれて外を見ていた。サングラスの下から水滴が流れ、一筋頬を伝った。雨粒ではなさそうだった。
この仕事をしていると、いろいろな人間に出会う。ある者は狂喜し、ある者は激怒し、そしてある者は号泣する。客とともにそんな感情も、目的地まで運ばなければならない。荷物であれば、どれだけ楽かといつも思う。荷物に感情はない。俺に話し掛けたりもしないからだ。
「ねえ、運転手さん」と鼻声の彼女がいった。
「はい?」と俺は答えた。会話では、メータ値はあがらない。
「東京って冷たい街だね」彼女はそういって鼻をすすった。
この地で生まれ育った俺には、適当な答が見つからない。
「こんな街、どうしたら住み続けることができるのかしら?」
と彼女はいった。絡まれても困る。
「東京で暮らすコツ、教えましょうか?」俺はいった。
「そんなのあるの?」と彼女は身を乗り出した。
「群衆の中の孤独を楽しむことです」と俺は答えた。
彼女はそのまま口をつぐんだ。たぶん、彼女には理解できなかったに違いない。理解できるなら、東京駅へ向かうこともなかっただろう。
信号が青になった。俺は勢い良く車を発進させた。あがりを稼ぐためには、遠方の客をあと一人捕まえる必要があった。激しい雨は、しばらくその勢いをとどめることがなさそうだ。
夕方前から、国道や首都高速で本格的な渋滞が発生することだろう。それまでには、なんとしてでもノルマを達成したい。俺はそう考えていた。
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