日の出前のリッチマン

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「あんたやっぱり、リッチマンさ」
 俺と同じグレーの作業服を着た男がいった。どこから見ても日本人の彼は、なぜかジミーと呼ばれていた。60歳を超えているように見えるが、案外若いのかもしれない。


 いくらかの金を手にした俺は、ここ数日、ドヤを根城としていた。それをジミーに話すと、ジミーは俺をリッチマンと茶化した。カネはすでに消えてなくなっていた。


「ドヤはもう出ます」と俺は言った。
「どの道、同類かぁ」とジミーは答えて、ひゃっひゃと笑った。前歯がなかった。


 俺は、日の出前から寄せ場に来ていた。運がよければ、手配師に拾ってもらえる。カネがあれば、しばらくの酩酊と屋根付きの睡眠を手にすることができる。しかし最近、うまい話はない。連日の空振りが続いていた。


「ところであんた、ここに流れてくる前は?」とジミーがいった。
 住まいか、職業か、それとも生き様か。真実を答えるつもりはない。
「いろいろあるんですよ。ジミーさん」と俺は答えた。
「だよなぁ、あんた、なんかありそうな顔してんもん」
 ジミーはそういって、ひゃっひゃとまた笑った。


 日本経済が、明るさを取り戻しはじめたと思えたその頃、俺の会社は、年商二十億を超える規模に成長していた。従業員数200余名、銀行が融資枠の増額を提示するだけの決算内容もあった。俺は、利益と借入れの大半を研究費に投じる賭けに出た。俺には手の届かない、壮大な夢だったのかもしれない。


 そのさなか、上昇を続けるはずの経済が見事に弾けとんだのだった。従業員を裏切り、株主を裏切り、そして債権者を裏切った。もう二度と、戻ることはできなかった。あとは静かに、消えていくだけだ。いや。俺はすでに残像なのだ。実体はもうないといえた。


 向上心を持ち続けている人、夢に向けて必死に生きる人、前向きに日々を生きる人たちは、ここにも多く存在する。一方で、今をしのぐために生きている人たちも少なくはない。いずれにしても、誰もがしっかりと生きているように思えた。


 実体を失った俺は、「生きる」実感すら薄らいでいたからだ。物心ついた頃、すでにつきまとっていたあの不安感がない。生涯持つことが当たり前だと思えた緊張感すら、感じることがない。そして俺は、今のライフスタイルに無理なく馴染んでいた。


 ひしめき合って建つ古びたビルの隙間から、オレンジ色の光が、一筋さした。そのまぶしさに、俺は目を細めた。長い一日が、今日もまた始まろうとしていた。


――― 今日は、埠頭の方でもぶらついてみよう。


 慢性化した空腹感の中で、俺はぼんやりと考えていた。



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