負け犬

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「俺は負け犬さ」
 ショットバーのカウンターに肩を並べて座る彼がいった。同期入社の営業マンだ。エンジニアの俺とは、違う道を歩んでいた。
「決めたのか?」と俺はきいた。
「ああ、決めたんだ」
 スコッチの水割りを飲み干してから彼はそう答えた。黒服のバーテンダーが一礼をしてグラスを下げる。
 彼は「同じものを」と黒服に告げた。


 ビジネスに勝ち負けはつきものだ。確かに彼は、その勝負に勝てなかった。多くの社員が、一転、彼を負け犬と呼んだ。その中には、かつての部下も含まれていた。上司さえ、全責任を彼に押しつけた。


 彼には、再起のチャンスが与えられなかった。責任を取るかたちで、彼は会社を去ることにしたという。


「負け犬のお前は、とても素敵さ」
 彼がくわえたタバコに、俺はライターで火をつけながらいった。
「おいおい、随分変な励まし方だな」
 吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出し、笑顔で彼が答えた。


 励ましではなかった。負け犬とはいえ、彼は死闘に臨んでいる。必死に戦い、そして敗れた者なのだ。果たして俺に、そんな勇気があるだろうか。
 戦いに必要な努力から逃げまわり、負けるリスクを伴う勝負を避けてはいなかったか。ただただ楽で安全な道のみをチョイスしてはいないか。


 そうなのだ。


 だからこそ人間の多くは、負け犬にはならない。しかし、勝ち組みに入ることもできないに違いない。そんな人生で、はたして良いのだろうか。
 バーテンダーが、新しい水割りを彼の前に置いた。
「お前はいずれ、きっと大成するよ」
 俺は、手に持ったロックグラスを彼に掲げていった。
「そういってくれるのは、お前だけさ」
 彼は俺の肩をポンと叩き、そして笑った。


 逃げる手はいくらでもあったはずだ。しかし彼はそれをしなかった。その上で、自らを負け犬と言ってのけた彼に、俺は完全に打ちのめされていた。



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