十年後の今日

Sponsored Link


 午後のゼミが休講となったある日、ボクたちは海までドライブをした。青い空に張り出した入道雲がまぶしいある初夏の日だ。
 彼女は海が好きだった。岬の先端に建つ、海を見下ろすことのできるレストランで、ボクたちは遅いランチを楽しんだ。それは、ボクたちにとって最大限の贅沢だった。
「十年後の今日、この時間にここで待ち合わせをしようよ」
 彼女が突然そう言い出したのは、食後のアイスコーヒーが運ばれてきたときだった。


 十年という年月は、意外にはやく経過した。


 期待はしていなかったが、店はまだそこに建っていた。当時真新しかった店内は、少し古ぼけた感じがした。しかしそれでも、窓一面に広がる海の青さは健在だった。平日の昼下がり、店内に客はいなかった。ボクはエスプレッソをオーダーした後に、部下に電話し、夕方からのミーティングをセッティングするよう指示した。
 彼女とは、大学を出てすぐに別れていた。実社会への順応に追われ、愛を語りあう余裕など、お互いになかったのかもしれない。数年後、彼女が渡米したことを友人から聞かされた。


 今日の彼女との再会がありえない事を、ボクは知っていた。


 エスプレッソの香りと味を楽しみながら、当時の出来事をあれこれと思い出し、懐かしんだ。講義や書籍から吸収した知識以外、ボクは何を知っていただろうか。しかし無知であったからこそ、恐れずに前へと進めてこれたのかもしれない。
 オフィスに戻らなければならない時間となった。ボクは清算を済ませ、店を出て駐車場に向かった。店の脇にある駐車場からも、海を見下ろすことができる。駐車場には、ボクのフルサイズセダンの他に、赤のコンバーチブルが一台、止まっているだけだった。
 そのコンバーチブルから、女性が一人降り立った。海の強い日差しを受け、白のワンピースがまぶしかった。


 その女性はボクに気づき、一瞬の躊躇の後に手を振った。当時とまったく変わらぬ笑顔が、そこにあった。待ち合わせをした、十年後の今日ではあった。しかしボクにとってそれは、明らかに予想外の展開だった。


――― 夕方のミーティングは、キャンセルすることにしよう。


 そう思いながら、ボクも彼女に軽く手を振りかえした。十年前と同じまぶしい入道雲が、青い空に張り出していた。



Sponsored Link


■お勧め作品