幸せの比較

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 初夏の風が静かにレースのカーテンを揺らし、リビングへと流れこんでくる。壁にかかる時計が、14時45分を示していた。
「お買い物、いかなくちゃ」
 私は軽く伸びをしてソファーから立ち上がり、二階の寝室へ上がった。階段には十分に気をつけてね、という夫の声が聞こえた気がした。妊娠が発覚した2ヶ月前から、夫は今まで以上に優しくなった。
 ドレッサーに向かって髪を整え、簡単にメイクをすませる。30歳に手が届く年齢のわりには、まだ若いと思った。準備を整えた私は、お財布を持ってリビングに降りた。ファクシミリ付き電話機が置いてあるワゴンの前に立ち、引き出しから家の鍵を取り出す。その瞬間に電話機の着信ランプが点滅し、わずかな時間差で、呼び出し音の音楽が流れ始めた。


「もしもし、長谷川でございます」
「あはは、ユリでしょ?ございますだって」
 大学時代、ルームメイトとして生活をともにした咲子だった。卒業後、彼女は日本最大手のIT系企業に、そして私は、外資系証券会社に就職をした。
 偶然にもその4年後、私たちはほぼ同時にOL生活に終止符を打った。26歳の春、彼女は人材派遣のベンチャー企業を立ち上げ、私は、社内恋愛の末に結婚式をあげたのだった。


「これからスーパーにお買い物に行くんじゃないの?」
 と咲子はいった。図星だった。
「たまには主婦業なんかさぼって、フランス料理でも食べようよ」
 と咲子は続けた。
 咲子のビジネスは、3年目には早くも軌道に乗りだしていた。スタッフ全員に研修や資格取得を義務付けたことで、ブランドイメージを引き上げることに成功したようだった。


 二日後の昼に、フレンチレストランでランチを食べる約束をして、電話は忙しく切れた。
「ごめん、これから社内の会議に出なきゃいけなから」
 と、最後に咲子はそういった。私は戸締りを確認すると、徒歩でスーパーに向かった。
 妊娠してからは、自転車の利用を避けるようになっていた。咲子は今頃、会議の中心で部下に檄を飛ばしていることだろう。
「カッコよさでは、とても咲子にかなわないわね」
 私はそうつぶやいてクスリと笑った。


 しかし今の私は、言い知れぬほどの幸福感に満たされている。これだけは、咲子にも絶対負けないに違いない。私はそう確信していた。



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