どうしてもしたい事

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 そんなはずはなかった。あり得なかった。しかし、確かに彼だった。
 パルコの前を、彼は楽しげに歩いていた。しかも、腕には女が絡みついていた。デニムのミニにイエローのフリルトップス。肩にかかる茶髪には、若干のウェーブがあった。


「ここのところ、仕事マジで忙しくってさ」


 先日も携帯で私にそういった。マジで忙しいという部分だけは本当のようだ。
 私は向かいの勤労福祉会館前にいた。近くで蝉が激しく鳴いていた。路面を焦がす残暑の陽が、陽炎を作った。彼は私を発見することはなかった。パルコから下る道を、私を背にして東急ハンズ方面にゆっくりと歩いていく。ジーンズにアロハはいつものパターンだ。


 許せなかった。私は彼を追うことにした。


「あれ?どこに行くんだい?」
 背後から声がした。
「ごめん、ちょっと用事ができた」と私は答えた。
「え?食事だってホテルだって予約してるんだよ」
 スーツ姿の男が、困惑してそこに立っていた。
「ほんとごめん、今度また遊んだげるから!」
 男を残して、私は交差点を対角線上につき切った。


 公会堂方面からのタクシーに接触しそうになった。タクシーが急ブレーキをかけた。
「馬鹿野郎!あぶねえだろうが」とドライバーがどなった。
 私は馬鹿だが、野郎ではない。


 道を渡りきったとき、スマホが鳴った。驚くことに彼からだった。
「もしもしー」といつもの呑気な声だ。
 彼は約三十メートル先で、確かに歩きながらスマホを耳に当てていた。
「仕事終わったの?」と私はいった。
「それがこっちも忙しくってさあ」
「そうなんだ。今どこ?」
「え?イベントでちょっとな。だから明日無理なんだ」


 仕事が忙しいという彼に譲歩し、やっと取り付けたデートが明日の夜だった。


「残念だな。会えないの?」と私。
「ごめんな」と二十メートル先の彼。
 女が彼に何か聞いように見えた。


―――仕事仲間だよ。


 彼の声がスマホの向こう側にかすかに聞こえた。
「え?」
「いや、なんでもない。ところでお前、走ってたりする?」
「なんで?」
「だって、めちゃ息荒いし」
 十メートル先で彼が首を傾げた。


「わかっちゃった?」
「あはは。そんなに急いでどこ行くんだよ」
「うん、どうしてもしたい事があって」
「なんだよそれ?」
 彼の大きな肉声が、スマホと少しだけずれて聞こえた。
「後ろを見れば、わかると思うよ」
 そういうと、私は左足で地面を力強く蹴った。サンダルが「タン!」と音をたてた。


 私は大きく跳躍をした。勢いのついていた私の身体は、宙を高く舞った。絶好のタイミングで、彼は振り返った。何の警戒心も抱いていない、間の抜けた顔がそこにあった。
 私の飛び膝蹴りは、彼の頬を正確にとらえた。


 淡いピンクのホットパンツは大正解だった。オールインワンタイプのお気に入りだ。とても機動的で動きやすかった。それに・・・。


  眼下で顔を引きつらせている女よりも、数段可愛く、そしてセクシーに違いなかった。



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