彼女からのプレゼント

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 どこかで猫のなき声がしていた。下町の住宅過密地域に、猫はつきものだ。このボロアパートの周辺に猫がいても、決しておかしい話ではない。しかし猫は、ごく近くでないている。


「ミャー」


 まただ。
 僕は、開け放していた窓から首だけ出した。とはいえ、外には隣の家の壁があるだけだ。見上げると、壁に挟まれた空が青かった。太陽は見えないが、晴れてはいるようだ。夏の昼下がり、猛暑は今日も続いていた。トランクスにランニングシャツ姿でもうだる。貧乏学生の夏休みには、ある種の苦痛が伴った。


「ミャー」


 僕はベッドから起き上がり、ベニヤ板よりはマシな、部屋のドアを開けた。部屋の外には、白い猫がちょこんと座っていた。とても美しいその猫は、きっとメスに違いない。彼女は、自宅に帰宅した主人のように、ごく自然に、ゆっくりと僕の部屋にあがった。積み上げていた多くの書籍をすり抜け、一つだけあった座布団の上に座って僕を見た。


「え?」


 突然の来客に、僕はとまどった。
「君。部屋を間違えてないかい?」
 と、いいつつ突然の女性客に悪い気はしない。
「何か飲みますか?」
 僕は、少し緊張しながら彼女にきいた。彼女は答えない。
「じゃあ、何か食べます?」と僕は聞きなおした。
 驚くことに彼女は「ミャー」と答えた。


 僕は、部屋の端にある一ドアの冷蔵庫を開けた。マヨネーズと醤油しかない。冷蔵庫の上の風呂桶の横に、シャケ缶を発見した。僕は缶を開け、平皿に盛って彼女に差し出した。
 彼女は躊躇することなく、それを食べ始めた。まるで、僕が何を差し出すかを知っていたかのようだ。


 彼女は食後、毛づくろいを始めた。きっと、とてもお洒落できれい好きなのだ。毛づくろいが終わった彼女は、スリムな足を横に投げ出した。軽く伸びをすると、座布団をベッドに静かな眠りについた。


「大胆ですね・・・」


 僕も、ベッドに横になった。気温はピークに達していることだろう。汗が噴出す。僕はうちわで、彼女へ静かに風を送った。夕方、僕が目を覚ますと、彼女はすでにそこにはいなかった。夕日が隣の壁に反射し、部屋をオレンジ色に染めていた。


 彼女が再び僕の部屋を訪ねてきたのは、それから三日後の昼下がりのことだった。


 その日僕は、あまりの暑さにドアを開け放していた。軽やかな足取りで、突然部屋に現れた彼女。口には、何かをくわえている。彼女はそれを、窓際に座って本を読む僕の足元にそっと置いた。そしてしなやかに方向を変え、ドアに向かって歩いていく。立てた長いシッポがとても素敵だ。


「あの・・・」と僕はいった。
 彼女は一度だけ振り返り、「にゃーお」と答えた。
――― 遠慮はいらないわ。
 彼女がそういったような気がした。それを最後に彼女は部屋を後にし、見えなくなった。


 先日の礼も兼ねた、僕へのプレゼントに違いない。部屋には、小さな干乾びた蛙が一匹残されていた。彼女の義理堅さに驚いた。うれしかった。ただ、それを口に運ぶ気には、なれないでいた。



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