下校途中のバスの中で

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バスがやってきたので手を上げた。停車したバスに中央のドアからのりこみ、定期券を機械にかざす。私は一番後ろの右窓際の席に座った。バスには前方に一人、おばあちゃんが座っているだけだった。


家の近くのバス停まで、二十分の道のりだ。動き出したバスは、次の交差点を大きく右折した。あとは一本道だ。


「これでいいんだ」と私は自分に言いきかせた。バスのフロントガラスには、街を南北に貫く一直線の道路と、その正面に、山波が青く見える。熱い想いが目から溢れ出て、頬をつたい制服と白いスカーフを濡らした。


交差点の一角に、大きな進学塾ができていた。「そろそろ塾に通ったら」とママは言う。確かに友達の多くは塾に通っていた。でも私は、目標とする高校さえ決められずにいた。とてもそんな心境にはなれなかった。


ふと体育館内のバスケットコートの光景が思い出された。キュ!というシューズとフロアの軽快な摩擦音。彼のロングシュートしたボールが放物線を描き、ゴールへと吸い込まれいく。ゴールが決まった次の瞬間、彼はまっすぐに私を見て、笑顔でガッツポーズを決めて見せた。とても素敵だった。


優勝の瞬間を、これまで何度思い起こしたことだろう。スローモーションとして、脳裏に深く刻み込まれていた。これまで生きた時間の中で、最も感動した瞬間だ。この幸せが永遠に続けばいいと願い、続くはずがないと恐怖した。そして、こんな分岐は多くの場合、悪い方向へと転がるものなのかもしれない。


「お前に伝えておきたいことがあるんだ」
呼び出された体育館裏で、彼は私に言った。先週のことだ。見上げる位置からの彼に視線は、いつも私にまっすぐ注がれていた。
「なに?」と私は答えた。
私の心は激しく高鳴った。こくられる(告白)に違いない。わかっていながら「なに?」もないものだ。


「オヤジがアメリカに転勤するんだ」
彼の口元が、少しだけ震えているように見えた。予想に反する彼の言葉に、私はどう答えてよいのかわからない。
「だから、俺も来週転校するんだ。アメリカに行くんだよ」


・・・もう会うことができない。


三段論法的結論は、私にだって導き出すことができる。とたんに胸が熱くなり、視界がかすみはじめた。数分後の自分の顔が、どうなるか予想できた。私は彼を背にして走り出していた。とてもそんな顔を彼には見せられない。
「まだ話は終わっていないんだ!」
背後から彼の声がした。でも、私はそこにとどまることができなかった。


次のバス停で、おばあちゃんがゆっくりと席を立った。


あれから今日まで、私はどうしても彼と目をあわせることができなかった。彼が悪いわけではない。それにバスケットボールは、むしろアメリカが本場だ。わかってはいた。でも、どうしても彼と向き合うことができないでいた。幸か不幸かクラスは違い、教室は離れていた。


今日は彼の最後の登校日だった。


なのになぜ私は、彼に会わずに家に向かっているんだろう。私はいったい、何を考えていたんだろう。おばあちゃんはすでにバスを降り、ドアが閉まりかけるところだった。私は席を立ち、降車ボタンを押した。
「すみません、私も降ります。降ろしてください!」
運転手に頭を下げ、ドアを開けてもらってバスを降りた。


「ほんとうに彼がいってしまう」


私は、今来た道を学校に向けて走り出した。私にだって、あなたに伝えたいことがあるのに。こんなに真剣に、はじめて男の人を好きになったのに。


はたして彼に会えるだろうか。本当に間に合うだろうか。彼のしなやかで、しかも力強いロングシュートが思い出された。私のこの想いも、ロングシュートで彼に届けることができないだろうか。そう思いながら、私は全力で学校に向けて走りつづけるのだった。



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